2018年02月13日に初出の投稿

Last modified: 2018-02-13

確かに「紀行文学」ではあるのだが、単に著者自身が見たものを時系列で綴っただけの本ではない。その土地に織り込まれた歴史やら物語やらがどんどん挿入されてくる。そのあたりのリズムがつかめなくて、最初なかなか本に入っていけなかった。

【1449冊目】ブルース・チャトウィン『パタゴニア』

年間で平均すると約200冊、つまり二日に1冊以上のペースで記事を書いている(読んでいる速さはもっと速い可能性もある)ブログだが、それだけの読書量ですら、「紀行文学」などというラベルに(恐らくは粗雑でセンチメンタルな)先入観しか持てないのかと、いきなり困惑させられる読書感想文である。これでは、「自治体職員」と名乗ること自体が特定の集団に対する反感や偏見を上塗りする結果にしかならないだろう。このように "group privacy" という概念も出てきている昨今、たとえ個人の特定をまぬかれていようとも、所属する集団を名乗ること自体が他人への迷惑を惹き起こすのである。

もとより、何度も書いていることだが、この手の速読家や多読家(自称するかどうかはともかく)が世の中に貢献するような業績を挙げた試しなどない。既にご承知のように、開成高校出身のクイズ王や編集工学おじさんといった単なる物知りや読書家が世の中に貢献し得るという実例など、殆どないのである。そして、そのような無能は、膨大な情報量や知識を得てから先へ進まないという不十分さが原因なのではなく、まさに膨大な情報量や知識を貯め込むという行いそのものが原因なのである。これに気づかない限り、それらの乱読というものは、当人の人生にとってすら殆ど役に立たないものであり、目の前に本を開いていようと、本を持たずに座って呼吸だけしていようと同じことなのである。

何人かの数学・哲学プロパーが Twitter などで書いているように、専門的な知識を蓄えたり学術研究の最前線に進むほど、読書など不要だし、そもそも読むべき実績などまだ蓄積されていないのが研究の最前線である。しかるに、どれほどの読書量や読書スピードで「情報処理」をしていようと、学術的な評価すら自身で為し得ない人々の乱読などというものは、しょせん「0358916274」という数字の列を整数の順番として並び替えるていどのことでしかないのである(それらを整数の順番として並び替える意義とか、本当に整数の順番に並び替えた方がいいのかとか、別の並び替え方はないのかとか、そういうことは読書家には判断不能なのである)。

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