足立巻一の死生観

河本孝之(Takayuki Kawamoto)

Contact: takayuki.kawamoto [at] gmail.com.

ORCID iD iconorcid.org/0000-0002-7867-2654, Google Scholar, PhilPapers.

First appeared: 2017-09-19 16:13:32.

このページで “[Name, 1990: 13]” のように典拠表記している参考資料の一覧は、「References - 『やちまた』」をご覧ください。

はじめに

このページは、足立巻一さんの著作あるいは関連する著作を読んだ覚え書きや、印象深かった箇所の引用を書き溜めてゆくページです。それぞれの覚え書きどうしには前後関係や論理的な関係はないので、「第何節」といった章立てはしていません。また、同じ箇所について後から文章を追記することもあるため、段落の始めに追記した日付を書き加えてあります。

『夕暮れに苺を植えて』より[2017-09-18]

もともと、人は死ねば歳月とともに気化するように人の記憶から薄れ、やがてその存在は完全に消えてゆく。いくら壮大な墓を建てたところで、たいてい三百年もすれば無縁墓になってしまう。それが人の生命の自然というもので、成仏とはそういうことなのであろう。

それをなまじっか、文字をつらねたものを残したりすると、いつまでたっても生臭い体温が消えない。遺稿集を出すということも、天に唾するような、自然に反する行為であるだろう。それでもなお、墓を建てたり、遺稿集を出したりするというのは、人間のひとつの業なのかもしれない。

[§1, 1995c:27]

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『やちまた』より[2017-09-19]

こうして『春庭悼善歌』を繰っていると、無数の、さまざまの人生が静かに完結してゆく気配が聞こえてくる。それはまた、星座のようにも見える。長い時を追うて、星は一つずつ流星となって落ち、あるいは溶明のなかに一つずつ消えてゆく。つねに、それは一つずつなのだけれど、透明な糸のようなものでつながっているようにも見える。

生きていくということは、結局、たくさんのいろいろな死に立ち会うということであろうし、わたしも祝日古や遮莫や腸の死にざまに立ち会ってきたし、さらには戦場ではおびただしい死を見、あるいは母の死をも見送ってきたけれど、そういう直接に目撃したなまなましい死ではなく、春庭につきあってきたおかげで、陰影のようなさまざまな死にもふれることになった。

[§20, 1974b:376, 1995b:392, 2015b:428-429]

『やちまた』の覚書でも取り上げた箇所です。『やちまた』の最終章で、それまでの調査・考察の経緯だけでなく足立さん自身の人生そのものを振り返っての感想として読めます。この『やちまた』という著作そのものが、足立さんとの付き合いを経て亡くなっていった方々に対する追悼にもなっているわけですね。実際、足立さん自身が『やちまた』を初めて掲載した『天秤』という雑誌の「ノート」で書いていると『「やちまた」ノート』に記載されています [西尾, 2000:134]。

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