2017年10月13日11時12分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-10-13 11:12:25

昔から経緯が謎なんだけど、建築とかITとか「アーキテクト」を名乗る人々の素人哲学っぷりというのは目に余るわけだけど、なぜか隔離された商圏で食っていけてるようなんだよね。特定業界とか人脈とかそういう何か特殊な理由があって競争を排除してるのかな。気持ち悪いよ。

昔は、そういうのはたいてい建築とか都市計画の分野に蛆虫のようにいたんだよね。磯崎新みたいなポストモダンに限らず、昔から建築家や都市設計論の研究者や国交省の官僚の一部は、「設計」に携わっているという一点で、おろかな全能感をもって哲学を勝手に語っていた。そして、公共の福祉や効率などを度外視する馬鹿げた建築物を山のよう作っては、やがてバブルのような時代が去ってゆくと何事もなかったかのように建物は壊され、自らの愚行の証拠を隠蔽してもらっていたというわけだ。

そして昨今では、「ITアーキテクト」や「情報アーキテクト」を名乗る、その実態は集合論やモデル理論すら勉強したこともない、ソフトウェア設計や情報設計に関してすらアマチュアと言えるような連中が、フロリディなどの「ナウい」哲学を付け焼刃で勉強しては、総務省案件や電通案件で見積もりに何らかの知的ブランド料金を上乗せする方法を探しているらしい。別のサイトでも書いたことだが、はっきり言ってフロリディの観点の大半は、「テキストには外部がない」というデリダの二番煎じにすぎない。ポパー的な世界 I, II, III を「情報」という一点に集約したなどと言うが、それはつまりみんな言葉でこうして喋ってるんだから何事も「言葉」として扱えるのではないかという、学部レベルの分析哲学と殆ど同じ合理化でしかない。

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