Scribble at 2024-05-07 21:07:19 Last modified: 2024-05-08 19:32:11

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国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)が発表した2024年の世界各国の報道自由度ランキングで、日本は前年から2つ順位を下げて70位だった。先進7カ国(G7)で最も低くく、SNSでは「こんなに自由に政権批判できる国は珍しい」などと疑問視する声が相次いでいる。民主党政権時の2010年は12位で、14年間で急落した状況に違和感を唱える声もある。

報道自由度70位に疑問の声「こんなに政権批判できるのに」 民主政権時の上位に違和感も

エジプト出身のネトウヨ女のツイートをコピペするだけで「報道」などと言っておきながら、とにかく反動右翼とかネトウヨというのは、日本についてのランキングとか好感度とか、その手の数値が単純に「下がった」という一点だけで過剰反応する傾向にある。なぜなら、そういうことしか自分たちの存在理由やプライドを保てないからだ。人として何をするかではなく、自分たちがどこに生まれ育ったかという、自分ではどうしようもないことについて結果オーライだけでものを考える。こういう精神性ゆえに、こういう連中は呼吸するように部落差別や朝鮮人差別をやるわけだ。人類史レベルのスケールをもつ保守主義(日本の伝統なんていう些末なことに固執しない、哲学的な保守思想)の人間から言わせてもらえば、まったく、ひとでなしとはこういう連中のことである。

それから、自分たちでコピペしておいて全く他人事のように書いているが、〈東京海洋大准教授の勝川俊雄さんは4日にXで、「日本に足りないのは『報道の自由』ではなく、『報道の責任』です。自分たちに都合が悪いことは報道しない自由を行使する一方で、たたきたい対象を非難ときには、捏造(ねつぞう)・偏向、何でもあり」と苦言を呈した〉という箇所について、少し真面目に受け止めたらどうなのかという気もするね。報道というのは、昔から第4の権力などと言われているように、その力は絶大だ。どれほど間違っていようと、最初の一報で他人の人生を破壊できる。後で裁判で負けようと、あるいは記者が殺されたりフライデー事件のように編集部が襲撃されようと、最初の報道は謝罪や訂正記事などでは絶対に元へは戻らないし、正直なところ反省もすまい。結局、報道というのはやったもの勝ちなのだ。それゆえ、先日のようにデマ報道で読売新聞の個人がクビになったというのは異例なことであろう。

[注] 上記のうち、記事からの引用をフランス式の引用符(〈...〉)で括っているのは、日本語の文章では標準的な一重の括弧で括ると、正式な表記法のルールとして、引用している文章の中に出てくる引用符を全て反転させなくてはいけなくなるのが面倒だったからだ。たとえば、元の文章に「『日本書紀』を読むと」という箇所があると、ここを引用するときには(引用文の実例を括弧で括ると更にややこしくなるので実例は示さないが)、書名の二重括弧を一重括弧にしなくてはならない。しかし、これはいくらルールでそうしなくてはいけないからといっても、書名は二重括弧で括るというのが自然な表現の見栄えであるからして、いくら引用だからとは言っても書名を一重括弧で括るのは、あまりやりたくないことである。よって、日本語の括弧とは区別できるフランス式の引用文で囲み、引用している原文の括弧の使い方を変えなくてもいいようしたわけである。もちろん、これが妥当かどうかは分からない。

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