2018年02月09日に初出の投稿

Last modified: 2018-02-09

ただいま Offensive Security による公式ガイドブックを参考に、Kali Linux の解説を書き進めている。もちろん色々なコマンドや調整を試しながらではあるが、やはりこういう作業(解説を書くことや、新しい OS とかソフトウェアを使ってみること)は、まず第一にホビーとして面白いものだ。それに比べて、今日は昼休みにジュンク堂で Linux 関連の棚を眺めていたのだが、日本の出版事情はどんどん貧弱になってきているようだ。Debian の本(Linux 全般ではなく)は全く見当たらず、それどころか一時は多くのメディアでも取り上げられた Ubuntu ですら数冊しか専門の本がない(そもそも Ubuntu は、誰かがノートパソコンをアフリカの人々にばら撒くとかいうキチガイじみた慈善事業で有名になっただけであって、別に OS として何か優れているという意見を見たことは一度も無い)。さきほどアマゾンで調べてみると、Debian の本が最後に出たのは 10 年前だ。

これは、ここ5年くらいのあいだに IT ゼネコンやオープン系のベンダーに入社したり、自宅や大学で Debian を使うようになった若者が、オンラインのドキュメントだけで Debian を十分に習得して使いこなせているということなのだろうか(とはいえ、大半の Linux 初心者は CentOS などを使うのだろう)。とてもそうは思えない。寧ろ、僕の周りで Windows や macOS のマシンを扱っている人々を見ても、OS そのものの configuration を理解している人間は年を追うごとに減っている印象がある。これは、要するに「技術者」を名乗っていようと、その大半が IDE や RAD ツールやフレームワークの単なるユーザとなり果てているということではないのか。もちろん、それは一方ではコンピュータを扱うのが簡単になったという、良いことでもあろう。いまや、パソコンを買ってきたら何もせずにドライバがセットアップされるし、LAN の通信環境へも簡単に接続できる。恐らく、Linux ですら(こうして今年で50歳になる人間が X Window System の設定ファイルを編集しなくても GUI 環境がすぐに使えるのだし)、たいていの若者は OS そのものの運用知識を学ばなくても使えるのではないか。

僕には、これは国内の業界全体が漂わせている一種の諦めのようにも思える。既に中国やアメリカには「勝てない」と分かっているのだろう。そもそも国内に残っているのは、コンピュータサイエンスの研究者から情報セキュリティの技術者に至るまで(どれほどお上から「天才」の称号を与えられようと)凡庸な人間ではあろうから無理もないが、若者はそういう無能な上司やロートルどもに足を引っ張られてはいけない。意欲のある人は、ぜひ数学と英語を勉強して中国でもドイツでもアメリカでもいいので、意欲と能力を活かせる場所を目指すべきだ。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Google+ Twitter Facebook