Scribble at 2024-04-21 10:28:47 Last modified: 2024-04-22 10:07:47

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Why Everything is Becoming a Game

まず、gamification という流行語によって、ビジネス・プロセスを「ゲーム」みたいにすることで、若造のモチベーションを引き上げようなんていうのは、もうまったくの錯覚だし、もともとの "game" というコンセプトを誤解しているだけのことなんだよね。こういう事例からして、日本でこれだけ数多くの通俗本が出回り、そして池田信夫くんを初めとする物書きがあれやこれやと叫んでいても、いかに game theory の "game" というコンセプトがまったく浸透していないかが分かる。

僕が、とりわけ日本やアメリカの西海岸のベンチャー企業で流行した ersatz gamification と言ってもいいようなカスみたいなマネジメントの理屈に反対してきたのは、それが "game" というコンセプトを誤解したまま、業務プロセスやマネジメントの議論を、転生ラノベ世界でスライムを倒しましょうみたいな話にしてしまっているからだ。しかし、"game" というコンセプトを正しく理解していれば、いま僕らが普段から、そして昔からやっている業務プロセスやマネジメントも "game" であると言ってよいし、問題は "game" であるかどうかではなく、そのルールを正しく守っているのかとか、ルールそのものが矛盾していないかどうかという点にあり、そして、上の記事が指摘するように、細かすぎるルールで評価するような仕組みによって、社員が目先の得点稼ぎにしか没頭しなくなっているといった弊害が起きていないかどうかということにある。

これを他の "game" に置き換えて議論することはいい。もちろん、きみたちのように都内のベンチャー企業で React のコードを書くしか能がない豚オタクが大好きなエロゲーに置き換えてもよいだろう。ここでは将棋を例に採ると、駒の動かし方というルールにそれぞれ不整合がなく、それから他の駒の運用や指し方について決められたルール(二歩や二手指しなど)も良いとして、それでは社員がそうしたルールを守って駒をただ単に動かしていさえすれば、顧客の求めるシステムが開発できるのだろうか。あるいは売上を伸ばせるのだろうか。そんなことはあるまい。対局を開始した直後に玉から動かすようなプロが殆どいないのと同じく、ルールで決められていないとしても、所定の手順というものがあるので、社員が好き勝手に駒を動かしているだけでビジネスが成功するなんて考える経営者はいないし、実際にビジネスとはそういうものであろう。企業経営とは、社員が好き勝手に振る舞った結果の単純な総和ではないからだ。将棋の場合と同じく、マネージャや経営者は一定の期間を設定したうえでの目標を立てて、そのために必要な指標として KPI を幾つか定めてから、現状の分析によって達成できるかどうかの見通しを立てる。そして、その目標を達成するために必要な施策だとか投資を決める。これは、個々の従業員がどれほど駒の動かし方(Excel のマクロだとか Photoshop のショートカットなどなど)を知っていようと、それだけの知識や技能では考えられない話だし、考えられたとしても会社全体に対して実行を求める権限のない話である。

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