Scribble at 2024-01-15 09:37:49 Last modified: 2024-01-15 13:52:39

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The intrepid logician Kurt Gödel believed in the afterlife. In four heartfelt letters to his mother he explained why

We’ll meet again

話題としては PHILSCI.INFO で取り上げてもいいのだが、こちらで「死」について取り上げる機会は少なかったから、こちらでも展開しておこう。どれほど有能で巨大な業績を上げた人物であっても、死ぬのが怖いという強烈な感情へ立ち向かうには、こうした観念をもてあそぶ気晴らしをする他にない状況というものがあるという、一つの好例かと思う。

母親から死後の世界があるかどうかと問われて、1961年にゲーデルが返答した手紙が残っているという。ざっと目を通したり、あるいは最近だと Bard や ChatGPT(Edge のサイド・バー)に要約させる人も多いとは思うが、それは少し待ってもらいたい。実際に僕も試してみたけれど、ページを AI に要約させると、この論説の趣旨(主旨ではなく)が殆ど吹き飛んでしまう。たぶん、要約だけを元にしてこの論説を語ってしまうと、あなたは確実に誤解されると思うので、ご注意願いたい。こういう文章を読む場合、はっきり言って主旨は二次的な価値しか持っていない。ゲーデルが何をどう議論したり論証したかは、彼の趣旨や意図を考えるための手がかりではあるけれど、それ自体の是非や正否を論じても大して意味はないのだ。それが分かるかどうかで、あなたが生成 AI レベルの知性や感受性しかもっていないロボット同然の人間であるかどうかが分かる。(逆に言えば、この論説の主旨しか論じない人は、発達障害とまでは言わないが議論の趣旨や示唆を無視している人だと誤解されるわけである。)

この論説が正しく指摘するように、この話題にかかわるゲーデルと彼の母親とのやり取りにおいて、もちろん着目すべきなのはゲーデルだけではなく彼の母親も同様である。なお、彼女の母親について日本語で調べても多くの情報は得られない。なので、英語のリソースを調べたほうがいい。そして確かに英語で ChatGPT に質問すると日本語で質問するよりも多くの情報は得られるのだが・・・

俺: Do you know about the mother of Kurt Goedel as a famous logician?

ChatGPT: クルト・ゲーデルの母親、マリアンヌ・ハンシューはラインラント出身で、彼女の父親、グスタフ・ハンシューもブリュンで織物業に従事していました⁴。マリアンヌはルドルフより14歳年下で、彼女は文学教育を受け、一部の学校の勉強をフランスで行っていました⁴。ルドルフとマリアンヌ・ゲーデルには2人の男の子がいました⁴。また、ゲーデルが1961年に母親に宛てた4通の手紙で、彼らが死後に再会する運命について語っています¹。これらの手紙は、彼の死後の世界に対する信念についての彼の成熟した見解を提供しています¹。彼の母親の手紙は現存していないため、彼女が何を言ったかは彼の返信から推測するしかありません¹。しかし、彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、彼女の有名な息子の哲学を理解するための一つの資源が得られました¹。彼女の直接的な質問により、彼の死後の世界への信念についての彼の見解が得られました¹。彼女が彼にこの質問をしたのは1961年で、その時彼は頭脳明晰で、プリンストンの先進研究所で哲学的な話題について広範に考えていました¹。彼女自身の言葉は欠けていますが、マリアンヌ・ゲーデルには感謝の意を表します¹。彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、我々は彼女の有名な息子の哲学を理解するための一つの資源を得ることができました¹。彼女の直接的な質問により、彼の死後の世界への信念についての彼の見解が得られました¹。彼女が彼にこの質問をしたのは1961年で、その時彼は頭脳明晰で、プリンストンの先進研究所で哲学的な話題について広範に考えていました¹。彼女自身の言葉は欠けていますが、マリアンヌ・ゲーデルには感謝の意を表します¹。彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、我々は彼女の有名な息子の哲学を理解するための一つの資源を得ることができました¹。彼女の直接的な質問により、彼の死後の世界への信念についての彼の見解が得られました¹。彼女が彼にこの質問をしたのは1961年で、その時彼は頭脳明晰で、プリンストンの先進研究所で哲学的な話題について広範に考えていました¹。彼女自身の言葉は欠けていますが、マリアンヌ・ゲーデルには感謝の意を表します¹。彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、我々は彼女の有名な息子の哲学を理解するための一つの資源を得ることができました¹。彼女の直接的な質問により、彼の死後の世界への信念についての彼の見解が得られました¹。彼女が彼にこの質問をしたのは1961年で、その時彼は頭脳明晰で、プリンストンの先進研究所で哲学的な話題について広範に考えていました¹。彼女自身の言葉は欠けていますが、マリアンヌ・ゲーデルには感謝の意を表します¹。彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、我々は彼女の有名な息子の哲学を理解するための一つの資源を得ることができました¹。彼女の直接的な質問により、彼の死後の世界への信念についての彼の見解が得られました¹。彼女が彼にこの質問をしたのは1961年で、その時彼は頭脳明晰で、プリンストンの先進研究所で哲学的な話題について広範に考えていました¹。彼女自身の言葉は欠けていますが、マリアンヌ・ゲーデルには感謝の意を表します¹。彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、我々は彼女の有名な息子の哲学を理解するための一つの資源を得ることができました¹。彼女の直接的な質問により、彼の死後の世界への信念についての彼の見解が得られました¹。彼女が彼にこの質問をしたのは1961年で、その時彼は頭脳明晰で、プリンストンの先進研究所で哲学的な話題について広範に考えていました¹。彼女自身の言葉は欠けていますが、マリアンヌ・ゲーデルには感謝の意を表します¹。彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、我々は彼女の有名な息子の哲学を理解するための一つの資源を得ることができました¹。彼女の直接的な質問により、彼の死後の世界への信念についての彼の見解が得られました¹。彼女が彼にこの質問をしたのは1961年で、その時彼は頭脳明晰で、プリンストンの先進研究所で哲学的な話題について広範に考えていました¹。彼女自身の言葉は欠けていますが、マリアンヌ・ゲーデルには感謝の意を表します¹。彼女の好奇心と独立した思考のおかげで、我々は」(ここで回答が停止してしまった。AI 自身も、これがおかしな回答だと気づいたのだろうか。

暇潰しはともかくとして、彼の母親が宗教家でも哲学者でも論理学者でもないことは分かるのだが、彼の手紙の内容を理解したり、あるいはそもそも真面目に受け取っていたかどうかは、全くわからない。着目してはみたものの、議論の組み立て方や脈絡については教えられることが何もなさそうである。Aeon の記事を書いたアレグザンダー・イングラート氏はゲーデルの母親を「もうひとりの隠れたヒロイン」だと評していて、確かにゲーデルにこういう文章を書かせるきっかけを与えたのだから、それは正しい。でも、それはあくまでも「起動因」としての神を尊ぶような話であろう。

ということで、さっそくゲーデルの議論を取り上げてみよう。ただ、彼の議論の要点はさほど複雑ではない。

(1) 世界は理性的に組織されており、意味をもつ。

(2) 人は個人としての成長や他人との関係において広い可能性をもちながら、その生涯においては一部しか成就しない。

(3) 人の理性は完全に発揮されるべきであり、その残りは死後の世界において成し遂げられる。

よって、死後の世界は(揶揄して言えば、論理的に言って)なくてはならないというわけである。僕は、もちろんこんな理屈は観念の適当な操作でしかなく、ゲーデルがこのようなことを本気で信じていたり、あるいは何らかの考察の結果として論じているのであれば、端的に言って自己欺瞞や自己催眠だと思う。もう少し言えば、このような議論の背景にあるのは、(2) が暗示しているように、人は何か素晴らしい存在であって、とても数十年で(少なくとも主観的には)生涯を終えてしまうには惜しいという前提なのだが、これは既にセネカが『人生の短さについて』という著作の冒頭で取り上げたように、人の価値は人生の短さに比べてもっと大きい筈だというのは、ただの主観的な思い込みや願望でしかない。もちろん、セネカが言うような、善く生きることによって人は十分に長い人生を送ることができるという意見も、結局は主観にすぎないので、セネカの方が正しいと言いたいわけではない。人の生物としての寿命や、あるいは個体としてどれだけ生きるかどうかは、その人の主観的な願望とか、あるいはまわりの人々が思っている価値や感情とは、はっきり言って関係がない。どれほどの偉人であろうと、どれほど大切な人であろうと、すぐに死んでしまうこともあるし、長生きすることもあろう。そういうことは、平たく言えば統計でしか語れないようなことであって、価値や願望という、人が勝手に自分自身を含めた人について充てがう「意味」とは関係がない。そして、そのように冷酷あるいは無慈悲としか言いようがない事実を何とか納得したいとか、あるいは敢えて遠ざけようとする心情というものが人にはあるので、それこそ原始人の時代から人は色々な習俗や儀式や宗教を発達させてきたわけである。それが、現代の一部の人々にとっては、ここで眺めているような、ロジカルな推論(誤解を生じるので、敢えて「言語ゲーム」とは言わないでおくが)だったというだけにすぎない。

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