Scribble at 2021-12-22 18:23:16 Last modified: unmodified

さきほど東急ハンズの話を書きながら思い出していたのだが、大阪駅前のロータリーから南東方向へ向かうと、昔は旭屋書店があった。恩師の森(匡史)先生から聞いたところでは、第二次大戦が終わった直後から大阪駅前にバラック小屋を建てて営業していたという。僕が初めて旭屋書店のビルを訪れたのは、小学生の頃だった。考古学に興味をもつ前は、鉄道少年だった頃があり、しかも「撮り鉄」とか「乗り鉄」と言うよりも、線路の勾配やコーナーで車輪にかかる力の物理学といった、変な話題に興味をもつ傾向があった。当然だが、鉄道好きな人々の大多数が買うような本とは違って、路線の整備や敷設に関わる技術者が読むような本を好んで買うのに、旭屋書店は絶好の書店だったわけである。そして考古学に関心を持つようになってからでも、たびたび旭屋書店を訪れて、買い漁るわけでもなく、どういうテーマを扱っているのかという動向を知るだけでも勉強になるような場所として愛好していた。もちろん、大学で哲学を学ぶようになってから手に取るのが旭屋書店では置いていない洋書になった後でも、何度か足を運んでいた。

僕の印象では、哲学だろうと数学だろうと歴史学だろうと鉄道車両の整備技術だろうと、大量の在庫を抱えていて幅広いジャンルをカバーしているだけではなく、ジャンルごとに僅かな本を揃えている場合でも、その選択が分野を問わず秀逸と言ってよかった。人文・社会・自然のどの分野の本についても、おかしな偏りがなく、かといってどこの書店でも見られる品揃えの凡庸さを感じない、調達について平均的なレベルが非常に高い。現在のジュンク堂大阪本店や茶屋町の「丸ジュン」と比べても凌駕していると言えるくらいの選択眼で書籍を揃えたり並べていた書店だったと思う。これは、いくらジュンク堂が「専門書のジュンク堂」などと言われていても、僕はジュンク堂の品揃えに感心するような経験は僅かしかないので(しかも大阪本店や「丸ジュン」ではなく、いまはもう閉店した千日前店だった)、相当なレベルだったのだろうと思う。

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