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土生田純之『古墳時代の政治と社会』(吉川弘文館、2006)

既刊の論文を再編集してまとめたもののようだ。そのため、特に群集墳など六世紀の話題に絞って読んでいたのだが、ところどころで重複した内容がある。ただ、その重複した内容によって、著者のスタンスが明確に理解できるという利点もあるとは思った。たとえば著者は本書の中で何度か、「古墳は政治的なシンボルなり権力構造が反映された築造物であるよりも前に、まずもって墓である」という点を強調していて、僕はこのスタンスには強く同感している。

僕が、昨今の浅薄な「古墳ブーム」(百舌鳥・古市古墳群のキャンペーンも含む)を一過性の馬鹿騒ぎとして憂慮しているのは、古墳が墓であるという点を軽視した態度にある。しかも、いまだに大半の古墳は被葬者が分からず、そういう意味では無縁墓なのであって、勝手に殆ど根拠もなく「仁徳陵」だの何のと言っている宮内庁と一緒になってイージーなナショナリズムを撒き散らしている自覚もない「古墳マニア」の類は、しょせん1970年代の「発掘ブーム」が史跡の破壊ブームでもあったという点を殆ど考えない、金銀財宝や美麗な壁画だけにしか興味がない俄考古学ファンと同じで、埋蔵文化財の適切な取扱いという理想にとっては反動的とすら言える役割を果たすことになろう。

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