Scribble at 2024-04-14 17:17:18 Last modified: 2024-04-14 19:20:15

僕がつねづね、関東大震災のときに起きた在日朝鮮人や在日中国人(あるいは左翼思想家)への虐殺行為やリンチについて書いているのは、もちろん目黒生まれの人間として出生地をけなしたいからではない。寧ろ、そういう事実を隠そうとしたり、嘘だと公言しているようなインチキ右翼や無知無教養の陰謀論者だけでなく、しょせんは田舎者の巣窟である現今の東京において、まさに虐殺された朝鮮人や中国人と同じく東京で生まれ育ったわけでもない連中が、たかだか大学進学で転入してきたていどのことで「東京人」を名乗って知らぬ存ぜぬや無関心を続けているのは、端的に言って恥知らずだとしか思えないからである。

また、そういう無知無教養な連中に限って自分たちは東京の歴史を知っているかのような態度をとり、やれ「東京に部落はない」だの(弾左衛門くらい調べようよ)「在日朝鮮人を主に差別したのは大阪人だ」だのと SNS で嘘を並べ立てる。言ってみれば、国の歴史とは汚辱の歴史でもあり、それを欠落して理解することは、自分の国の歴史について書かれた教科書を奇数ページしか学ばない馬鹿と同じである(ただし、この比喩は正しくない。あらゆる国において、そこで起きる出来事の大半は、凡人が凡庸な暮らしをしていただけの事実であり、名誉ある歴史か汚辱かなどという二分法こそ、ネトウヨやリベラルといった人々に特有の短絡というものであろう。われわれ真の哲学的保守は、そういう連中を相手にしてはいけない)。

ともあれ、われわれはいまだに組織的・制度的な差別を続けていて、繰り返してすらいる。たとえば、日本にやってきて住んだり仕事をする人たちについて、いまもって職業で差別しているのは明らかであろう。外国人が日本にやってきて働くときに、こういう職種なら特別扱いしましょうなどと、いまだに言っているのを見れば分かる。いわく IT 技術者、いわく大学教授、いわく看護師、いわく金融マン、いわく芸術家など、要するに我が国にとって都合がよく有益な人間であるかどうかという基準で制度的な利益を与えたり抑制しており、なおかつどういう人間が「有益な人間」なのかを国が決めるというのであるから、これが(外国人を対象にしていようと日本人を対象にしていようと、およそ人に対して)差別でなくて何なのかと言える。

こういうわけで、たとえばいまだに国公立大学の教授に「姜」だの「金」だの「王」だのと在日朝鮮人や在日中国人の名前があると、珍しいと感じるだけではなく、違和感を覚える人もいるという。もちろん、セリカンとか言ったトルコ人の詐欺師を始めとする愚劣な人間は、外国人だろうと「純粋」日本人であろうと責任を問うて社会的な立場や職位から排斥するのが正しい社会防衛というものだが、それは国籍や人種という理由ゆえの不合理な対応であってはいけない。

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