Scribble at 2021-09-27 09:44:33 Last modified: unmodified

NHK のニューズ番組で紹介されていた動物園の様子を観て思ったことがある。

僕らはヒト以外の動物、たとえばゴリラについて幾らか知っていることがある。恐らく本として出版できるていどには、ゴリラについて色々なことを知っているのだろう。でも、あらゆることを知っているわけでも理解しているわけでもない。こういう状況で、しばしば「われわれはゴリラについて殆ど分かっていない」と言う人がいて、それはそれで一定の謙遜なり研究者としての節度を表現しているのだろうと思うが、もちろん、そう推察するためには、ゴリラについて知りうる事柄の全体つまりは外延が決まっていて、その何パーセントを現在の我々は知っていて記録したり記憶しているのかが、どれほどかの精度で分かっていなくてはならない。もしかすると、既にわれわれはゴリラが〈やっていること〉なら8割くらいは知っているかもしれない(それを〈理解している〉と言っているわけではない)し、まだ2割くらいしか知らないのかもしれない。なんにしても、正確で節度ある言い方をするなら、「われわれはゴリラについて十分に分かっていない」と言うべきなのだろう。「十分に」であれば 100% ということだから、もちろんそれは未達であることが分かっているので正確な言い方だ。それに、そういう表現であれば、十分に分かっていないどころか、何割くらい分かっているのかすら正確には分からないという意味にもなる。

そして、この限りで言えば、当然だがわれわれはヒトについても十分に分かってはいない。その「十分」がどれほどの知識であり、そして現状が何割に当たるかどうかも、全く推定できないと言ってもいい。そういう現状の説明としては、他の動物と比べて、ヒトやヒトの集団がお互いの交渉や外部環境への適応において変化が激しいという可能性を使えるかもしれない。ゴリラも互いに鳴き声や nonverbal communication でやり取りしている。けれど彼らの使うサインが、ヒトの言語に置き換えたら Merriam-Webster の編集部によって毎年のように選別しなくてはいけないのと同じほど、急速かつ膨大な数で増えているという証拠は全く無い。したがって、ヒトにおいては言語というテーマに絞るだけでも語彙の全体は常に増え続けていると考えても良いかもしれないので、常にわれわれの知識や情報は不十分であると言いうる。

この、ヒトに関わる事実の複雑さと分量と変化・増加の速さは、他の生物なり無機物と比べて際立つ特徴だと言えるなら、まずヒトについての知識は、ヒトが絶滅しない限り十分に捕捉することができないと考えてよい。しかしヒトが絶滅してしまうと、ヒトに関する事実と理解を知識として定式化したり記録する意味は、もちろんヒトにとっては消失してしまう。この宇宙にヒトの情報を膨大に記録した機器が放置されていたとして、それが何になるのか。どこかの宇宙人が偶然にやってきて〈活用〉してくれるとでもいうのか。それは〈彼ら〉にとっては何か意味があるとしても、既に死滅した後のわれわれ自身には何の意味もない。

次に考えられることとして、ゴリラについて知りうることや分かることは観察できる事実に限られているという制約がある。ゴリラに「それはどういう理由でやってるの?」と質問はできないのだから、われわれは傍から見てゴリラが〈やっていること〉しか知り得ないし、そこから推定できることしか理解できない。そして、その推定は仮説なのであるから、確からしさには限りがある。もちろん、ヒトがやっていることについて「それはどういう理由でやってるの?」と聞いて返事を得たからといって、ゴリラよりも正確なことが何か分かる保証はない。自分のやっていることについて、ヒトはしばしば嘘をつくし、本当のところ自分でも理由が分からない場合だってあるからだ。それでも〈やっていること〉から推定するだけに比べたら、質問できる方が何らかの点で有利だとは言えるかもしれない。とは言っても、それもまた言語によるコミュニケーションであるから、質問の意図が通じないとか、回答しているニュアンスが通じないとか、それぞれの微妙な齟齬によって常に誤解が生じたり、十分に知りえない点が残る可能性がある。

色々と考えた後でも最大の問題として残るのは、事実とは何かとか、事実を知るとか知っているとはどういうことなのかという制約条件に、正確さという点では常に議論が残る(それゆえ人によって裁量の余地がある)ということだろう。われわれはゴリラの「気持ち」を彼らの行動を観察して理解するという表現は、ヒトについて当てはめた言い方の単なる比喩や願望に過ぎないのか、それともヒトと正確に同じ意味で匹敵するような「気持ち」をゴリラに想定してよいのか。この一点ですら(そして、これは他の生物種について理解するために、かなり決定的な点でもある)、多くの生物学者や脳神経科学者や哲学者で、恐らく意見はぜんぜん一致しないであろう。したがって、これらの諸点を合わせると、やはりわれわれはゴリラの生態だけに限らず数多くの事柄について、まったく不十分にしか知らないし分かってもいないと言ってよいのだろう。

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