Scribble at 2024-01-09 20:07:45 Last modified: 2024-01-09 21:37:16

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健康で豊かな生活にはなにが必要なのか。東京大学特任研究員の安川新一郎さんは「読書量は、年収、長寿、ストレス軽減との相関がある。米イェール大学の調査によると、週に3.5時間まで読書をするグループは、向こう12年で約17%死亡リスクが低く、平均して2年ほど長生きしている」という――。

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イェール大学で12年間の調査を経た結果だという。でもね、ここで既に僕らなんかは引っかかるんだよ。統計・確率の哲学を専門にしてるから当たり前なんだけど、生活習慣と疾患や寿命との相関を、たった12年間の追跡調査で推定するのは、現代の疫学の基準に照らせば「非科学的」とすら言える。現代の水準では、中学生の自由研究みたいなものだ。まったく信用できない。

そして次に、これも古典的な話で恐縮なのだけれど、昨今の(書店での)大流行となっている因果推論や因子分析の初歩的な話として、これはどう見ても因果関係と相関関係を取り違えているように思える。そして、仮にこの相関関係が強いとしてみても、これは「読書をするから長生きする」と言うよりも、「金持ちで暇があるから読書できる」と考える方が自然だろう。確かに、経営者をはじめとして読書する暇もないほど忙しい金持ちはたくさんいるけれど、イギリスの貴族や、長期休暇シーズンのたびに読書リストをブログで掲載しているビル・ゲイツなどを見れば分かるように、たいていの金持ちには時間がある。「読書する時間なんてない」と言ってる金持ちの多くは、実際にはコール・ガールや芸能人の卵を自宅に呼んだり、サバゲーだの高級外車のショッピングだのという他のことに時間を使っているだけのことだ。そして、圧倒的多数の僕らみたいな低所得者には、読書なんてする余裕はない。しかしながら、長生きするかどうかはともかくとして、読書したりものをじっくり考えたり、あるいは家族や夫婦で話をする時間を確保できるほうが良いに決まっている。

僕は、幸運なことに自分の関心と仕事の内容が近いおかげで、情報セキュリティに関連して暗号学や代数学の本を読む時間を確保したり、システム開発のスキルを向上させるために幾つかの言語を習得する時間を確保したり、あるいはプライバシーマークや ISMS が準拠する規格や業界ルールなどを調べて学ぶ時間を確保したり、それから研修用の動画を制作・編集したり社内文書をデザインするために役立つ、デザインや動画編集のスキルに関連した学習に時間を費やしたり、そうした業務に関わる読書や調べ物が、そのまま僕自身の興味と連携しているという立場にあって、業務中にそうした読書や勉強に時間を使える。はっきり言って、このような絵に描いたような裁量労働というか、殆どフリーハンドに近い働き方なんて、いくら会社の部長とは言っても簡単にできることではないだろう。ありがたいことである。でも、こういう働き方が非常に難しいと分かっているからこそ、読書すれば長生きできるといったバカ話には強い違和感を覚えるのだ。

では、金持ちでもなければ僕のように特殊な働き方をしているわけでもなければ、どうやって読書だろうと家族との会話だろうと時間を確保すればいいのだろうか。そもそも、客先で缶詰にされているような炎上案件に投入されている人々には、時間をつくる余裕はない。嫌なら、さっさと転職するしかない。江戸時代なら転職なんてできなかった(農民はほぼ農奴であったし、田畑を捨てて逃げたら食っていく道などなかった)けれど、いまは竹中パソナで働き続ける義務などないし、誰かが竹中パソナに引き戻そうとして追いかけてくるわけでもない。正社員になるのが難しくても、他の派遣会社に転職する自由はある。よって、そういう自由を確保するためにも、何ヶ月かの生活費は貯めておくべきだろう。また、貯金もなければ転職する目当てもないという状況であれば、いったん酷い状況から抜け出してアルバイトでもした方がマシだろうか。あるいは生活保護を申請したり、失業保険をもらうべきか。いまのところ、そこまでの状況に置かれたような人々に読書の時間を確保するための処方箋を書けるとは思えない。たとえば、世の中にはベーシック・インカム制度を導入すれば誰もがワーク・ライフ・バランスを保てると妄想している人もいるし、大金持ちから金をぶんどって社会保障費に充てたら貧困の問題が解決するかのような錯覚に陥っている人も多いわけだが、それは無理な話である。そもそも、凡庸な人間が平均してスマートフォンを持っていたりする状況からして、既にわずか50年前と比べても平均的な生活水準は相当に高くなっている。しかし、月額で1万円や2万円の利用料金を払えるのに貧困状態にあるという家庭が、日本どころかインドやアフリカにもあるという状況にあって、既に社会科学の理屈だけで彼らをどうにか救えるようなアイデアはないと思う。どういう経済学や社会保障論や財政学や社会学の理屈を持ち出しても、これは無理な相談である。

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