Scribble at 2024-01-27 10:15:08 Last modified: unmodified

既に Twitter が X になる前から、別に Twitter は宇宙に存在する唯一の SNS でもなんでもないのだから、オンライン・サービスの一つとして多くの競合をもっていた。これは、当サイトでも御紹介していた多くの「短文投稿サイト」と呼ばれるサービスだけに限らず、Facebook や MySpace や Google Plus、あるいは ChatWork や Discord や Slack といったサービスも含めて、個人やグループや組織がインターネット通信を利用してメッセージを発信したりやりとりするという、もっとも広い意味での「通信」なり「メッセージング」という観点で言えば、もちろんやりとりが発生するなら個人サイトの掲示板であろうと Twitter がやっていることの一部を代行していると言える。大半のオンライン・サービスの利用者は、自分の目的や人間関係など複雑や理由や事情で、色々なサービスを使い分けているのであって、Twitter だけであらゆるやりとりをしてる人なんて Twitter の社員ですらいなかっただろう。

したがって、fragmentation を何か重大で由々しきことであるかのように思い込んでいる人がいるとしても、それがどういう fragmentation なのかを示さない限り、それはオンライン・サービスの利用実態に関する自分の無知に騙されて無用な心配をしているだけという話になる。逆に、そういう人たちが心配している fragmentation が起きていない状況とは、ひょっとすると地球全体で通信が一元的に管理されているような「帝国」(その元首がプーチンなのか、トランプなのか、あるいは北朝鮮のロケット小僧なのかは知らないが)での話ではないのかという気もする。そう考えると、殆ど統制も管理もなくて個別にメッセージをやりとりするような極端な状況(いわゆる「通信」というテクノロジーが存在せずに、殆ど狼煙も、いや遠くの複数人へ知らせるために大声で叫ぶことすらしなかったような対面での会話だけという状況だが、本当にそんな対面の会話の方が進化の問題として先に行われていたのかどうかは分からない)でもなく、かといって「帝国」にあらゆるメッセージングを支配され管理されている状況でもないという、それら両極端のあいだにある何らかの条件が現実的で、最善ではなくともマシな状況にあると言えるのかもしれない。

よって、X に対抗して Bluesky がユーザを増やしていくこと自体は、それが外形として単純に fragmentation を生じるとしても、それだけのことでただちに良いとか悪いと言えるものではないのだろう。最初は、この話題を寝床で思いついたときに、Bluesky が流行してもみんなが Bluesky に移行するわけではなくて、共和党と民主党のように別のグループに分かれるだけではないのか。そうすると fragmentation が進んで、お互いにエコー・チェインバーを強化するだけで建設的な議論は更に減るであろう、それはよくない、みたいに思ったのだ。でも、よく考えたら僕も X は連れ合いとメッセージをやりとりするだけに使っていて、情報を得るとか、不特定多数に何かを発信するために使ってなどいない。僕が不特定多数に情報やメッセージを発信しているのは、SNS ですらなく、まさにここだけなのだ。でも、それで fragmentation だ、由々しきことだということになるのだろうか。寧ろ、そんなサービスを使わねば人にあらず、といった「ソーシャル・ハラスメント」とすら言われるような状況の方がおかしいのではないか。人が他人との協働なりを通じて生きていることは事実だが、だからといって常に他人とやりとりしなくてはいけないとか、常に他人と協働でやるほうが単独でやるよりも良いという根拠はない。

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