Scribble at 2021-06-25 10:03:15 Last modified: unmodified

このように民放が新規参入を妨害するのは、インターネットで無限のチャンネルが見られる時代には時代遅れだ、と私は批判したが、私が間違っていた。視聴者のテレビ視聴時間は2012年には1日184分だったが、2019年には161分と、20分しか減っていない。日本人は毎日平均2時間40分もテレビを見ているのだ。

日本の民放はなぜ世界一優秀なのか

ネットがあろうとなかろうと日本人は昔も今もテレビを観るというが、全世代のグラフを眺めているだけでは実態がわからないと思う。「インターネット時代」になろうと、しょせん歳をとれば老人はテレビを観るのかもしれない(つまりネット・メディアはガキのオモチャでしかない)し、しょせん若者は「インターネット時代」なんて来る前からテレビをさほど観ていないのかもしれないからだ。そこで、信夫くんが参照している『情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査』という総務省情報通信政策研究所のリポートを眺めると、世代別の推移が掲載されていた。

すると、確かに10代では8年間でテレビの利用時間が15%くらいは減っていて、ネットの利用時間は12%ほど増えている。でも、その中身を見ると、若者は動画系コンテンツの6割をネットで観ているが、高齢者は動画系コンテンツの9割をテレビで観ていて、通信経路の違いだけで動画系のコンテンツを観ているとかいないとは言えない。したがって、世代別で視聴時間に違いはあっても、総じて動画系コンテンツの利用時間は大きく変わっていないと言える。そして、若者も動画系のコンテンツを利用しているが、その媒体はテレビ放送からネットのストリーミングや動画サイトの公開動画に一部は移行している。しかし、そういう事情はあるにしても、世代ごとの利用時間の推移は「インターネット時代」などと言うほどには大きく変わっていないということが分かった。

一部のテレビ番組については、どれほど話題になっても YouTube で観るのは難しい。海賊版のアニメは少しくらい見つかるかもしれないが、たとえば初代の『ガンダム』の放送動画を全話分 YouTube で見つけるのは無理がある(バンダイが丁寧にエゴサーチして、手当たりしだいに削除要請している)。これは書籍の情報についても同じことを書いたことはあるが、デジタル・コンテンツの決定的な欠点である。誰かが法的に問題のない仕方でコンテンツを電子化して公開しない限り、「誰でもコンテンツを楽しめる」などという脳天気な〈セカイ〉は永久にやってこない。しょせん、そんな意味での「誰でも」が、キャピタル・ゲインを狙う VC から高額の投資を受けたベンチャー企業によるヘゲモニー掌握の手法に頼るコンテンツの享受でしかないという事実は変わらない。よって、テレビ番組をテレビで観るのであれ、あるいはオンデマンド・サービスとしてパソコンで観るのであれ、コンテンツの利用状況というものは、経済的にも時間的にも限られた範囲での推移でしか語れない筈である。一般人が1日にテレビを観る時間には限度というものがあるし、リアルタイムで眺める代わりにオンデマンドで観るとしても、それに払うコストにも必ず限度がある。

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