Scribble at 2024-03-08 08:04:41 Last modified: 2024-03-08 14:28:41

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PDCAサイクルは、安定した環境での連続的な改善には有効ですが、現代のような高速で変化する環境では、計画の立案と実行のスピードが追いつきません。計画の立案に時間がかかりすぎると、その計画が実行段階に入るころには既に環境が変わってしまうことがあります。

なぜ「PDCAが浸透している企業」ほど、大きな成果が出なくなってきたのか?

ISO/IEC すら国内に浸透してるのかどうかも分からないような国で勝手に会社をやってる人間がマネジメントについて語るというのは、もちろん他人に語るのは好き勝手だし、しょせんビジネス本とか雑誌というのは昔からネタよりもまず人材が不足しているので、こういう手合にでもものを書かせないといけないという事情も分かる。ただ、何の根拠もなくシステム・エンジニアリングの流行にすぎない「アジャイル」なんてコンセプトを会社のマネジメントに持ち込むなんていうデタラメを語るのは、やめてもらいたいと思うね。これは、同じ程度に無名な会社ではあろうが、少なくとも企業で20年にわたってマネジメントに携わっている者としての忠告だ。

経営にかかわる議論のスタイルというのは、いまのところ二つの両極端なパターンを示している。一つは、金持ち喧嘩せずというか、まったく既存の成果や他人の主張を批評しない、まるで宇宙に経営理論などなかったかのような本や記事を書く連中だ。このような手合は、たいてい情報商材の詐欺師や新興宗教の教祖に近い。もちろん新興宗教の幾つかは戦闘的であり、伝統的な宗派を罵倒したり信者を攻撃することもあるが、世の中に蔓延している無名の新興宗教の大多数は、どちらかと言えば他の宗教など眼中にないものだ(寧ろ既存の宗教に関する無知無教養無関心ゆえに始められたという事情がある)。そして、経営学やビジネス本の多くも、まるで他に経営書などないかのような、或る意味では独立独歩とも言えるが、別の意味では殆ど新興宗教の教義に近い傲慢さや無頓着さがある。

そして、もう一つのパターンは、上記のクズ記事のように既存の経営理論やマネジメント手法に対して、酷い場合は自分で試して成果を出したことすら無い流行のアイデアを持ち出してマウンティングするというものだ。ただ、そういう手合は本当のところ持ち出している理屈や概念を正確に理解してはいないことが多いので、「アジャイル」が30年以上も前のシステム・エンジニアリングのコンセプトであることすら知らず、何か先進的な経営手法であるかのように扱う。こうした、業界に浸透せずに消えていった手法を表装替えして何度でも先進的なアイデアや手法であるかのように取り上げ直すのが、無知であるか、あるいはその手のやり口で稼いでいる連中の実態である。

現実に PDCA のアイデアを採用している会社の部長が無料で教えてやるから、シンガポールで適当に仕事をしながら日本のメディアに雑文を書いてるような無能は、ありがたくよく読むといい。

まず、このところ「鬼速 PDCA」などと言われるように、それから ISO/IEC や JIS のような産業規格においても、既存の理解にもとづく PDCA は多くの批判にさらされてきていて、シンガポールで適当な作文を書いているような暇人がいちいち指摘しなくても PDCA についての理解や解説や実装・評価の方法はこれまでにも修正を迫られてきている。特に、これは「鬼速」なんて言われるよりも前から指摘されてきたことだが、PDCA サイクルは JIS で要求されるマネジメント・システムの年間スケジュールに組み込まれることが多かったせいで、PDCA サイクルを年間のサイクルだと誤解する人が続出していたわけである。しかし、PDCA はそんな年間スケジュールのようなアイデアを想定してはいない。それに、PDCA について少しでも真面目に調べたことがある人なら誰でも知っていることだろうと思うが、エドワーズ・デミングの話を聞いた日科技連の人物が PDCA のアイデアを構想し、そして PDCA を生産管理などの分野で広く応用したのが、アジャイルの元になる「カンバン方式」を実施しているトヨタだったわけである。つまり、アジャイルと PDCA はどちらも現実の企業の生産現場で(しかもトヨタという一つの企業でも同時に)実施されてきたマネジメント手法なのだ。

したがって、PDCA サイクルを活用し実行するには時間がかかるとか、アジャイルは必要に応じて実行できる「現代」的な手法だなどというのは、両方の手法やアイデアについての錯覚や未熟な理解をもとにしている素人の与太話でしかない。そもそも、誰も調べていないせいで実態が分からないわけだが、アジャイルを無闇に取り込んだシステム開発にしてからが、多くの混乱と失敗を引き起こしているというのが僕の見立てだ。「アジャイル開発」や「XP開発」などという、実はソフトウェア・エンジニアリングにとっては二次的な価値しかないものを開発会社のセールス・ポイントのように掲げて、かつは Ruby のような「先進的な言語」を使うことだけを宣伝文句にしていたような若造のベンダーが都内にも数十社はあったはずだ。そして、それらは10年ほどのあいだにほぼ全て市場から消えて無くなっている。僕のような、中学生の頃から8ビットのコンピュータでアセンブラを書いていたような人間に向かって「これからは RoR ですよw」などと営業してきていた、都内の十指を超える開発会社なんて、もう一つも残っていないし、それらの経営者でありエンジニアを自称していた連中が、法人を精算なり解散した後に、個人として IIJ や Google や楽天の技術部長になったなんて話も聞かない(つまり、起業家としてだけでなく、技術者としても評価されるものをもっていない連中ということだ)。要するに、利用している言語や開発手法なんていう道具を自慢してサービスを提供するような手合は、結局のところシステム開発の世界においては典型的な「マーケティング屋」であるか、端的に言えばシステム開発が分かっていない若造や無能なのだ。

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