Scribble at 2024-02-16 22:11:20 Last modified: 2024-02-16 22:41:01

「社会学」というフレーズで、世の中の些事をほじくりかえしては分厚い本を出版して稼いでる連中といった意味があるかのように使ってると思われているかもしれないが、同じことは実は(少なくとも国内の出版物を見ている限り)「文化人類学」と言い換えてもいいし、スケールは更にショボいが「民俗学」と言い換えてもいい。これらは旧来から「社会科学」と呼ぶにはあまりにも未熟で非科学的かつイデオロギー・ファーストな分野であったため、「社会系」などと呼称したほうが実状に合うとすら言えた。もちろん、人によってはタルコット・パーソンズのようなインチキ数理モデルを「科学」だと言うかもしれないし、「システム」という言葉に騙されてニクラス・ルーマンを始めとする人々についても「社会科学」だと思うかもしれないが、是非はともかくとして、それは錯覚である。

ところが、現在の出版物を見ていると、そういう社会「科学」への展開はさほど感じられず、徹底した記述だけをこととするルポライターのような人々と、情報量や洒脱な文体で難解な文章をこととする思弁的な人々とに断裂しているようにも思う。ただし、その傾向が顕著なのは文化人類学であり、社会学では大半が前者であって、後者の「理論派」なんてのは海外の古典を祖述してるだけの連中だ。また、民俗学は日本に独自の風習などを扱うことで独自性を保っているにすぎないので、正直なところ田舎の祭りや昔話の紹介という学芸員並の仕事以外の何をしたのやら、たとえ柳田國男ですら理論的な社会科学としての実績なんて何があるのかと思う。

ということで、民俗学は論外だと思うが、社会学だけでなく文化人類学についても、書店で見かける「~の人類学」なんてタイトルのついた本の 99% は、クズであるばかりか、実は人類学と関係ない、社会学の更に未熟な応用だったりする。こう書くと、では『サピエンス』はどうなんだと言うかもしれないが、あれは哲学者として言わせてもらえば編集工学おじさんと同レベルの「まとめ本」にすぎない。何のオリジナルでインサイトフルな知見も、あそこには書かれていない。なので、あんな本の解説書を更に出すどころかマンガ版を出版してるなんて、この国だけだと思う。アメリカなんかだと、New York Times のベストセラーになったていどの本だろう(NYT のベストセラーは、実は瞬間的に売れたというだけのものであり、その大半は読み捨てられていくだけの本だ)。

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