Scribble at 2024-01-18 21:22:23 Last modified: 2024-01-18 21:23:55

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たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。

「奨学金437万円」男性が40代でようやく得た天職

日本の社会学者とかルポ・ライターが使う典型的な言い訳や正当化、あるいは bullshit の一種だと思うんだよね、こういう理屈って。あと、ここ10年くらい「最適解」なんていう理数系ぶった言葉遣いを使って、何か明解な議論をしているかのような自己欺瞞に陥る凡人が X でもマスコミでも非常に多いのだけれど、いかにこういう物書きが言葉をいい加減に扱っているかというバカの自己証明みたいなものだ。「少なからず存在している」って、何割? 数えたこともねーだろ。最適解ヤローは。

そりゃ、奨学金を受けた全ての人が借金地獄に陥ってるわけではないだろう。僕も大学院の博士課程まで借りた合計が800万円ほどになったため、もちろん既に全額を返還しているが、奨学金を返還しながらでも大量の洋書は買ってきたような生活だった。確かに中小零細企業の社員として貧困層に足を突っ込んでいるような状況ではあるけれど、かといって将来を悲観してどうこうするほどの貧困でもない(そもそも本当に貧困状態なら、独自ドメインを維持してウェブサイトの運営なんて、何か金儲けのためでもなければやるわけないだろう。それとも、実はサブ・ドメインでアダルト・サイトや暗号資産のインチキ投資サイトでも運営してると思うかね?)。同じく、奨学金を受けた人だからといって、必ずしも悲惨な生活に陥ったわけでもなければ、逆に奨学金をうまく活用して卒業後に何らかの意味で「成功」した人もいるのだろう。でも、だからといって僅かな事例をことさらに大きく取り上げて、「やりようによってはうまくいく」みたいなメッセージを発したところで何になるのか。

もちろん、社会制度はゼロサム・ゲームではない。或る制度を採用すれば、恩恵を受ける人もいるし、損をする人もいる。上手く利用できる人もいれば、利用を誤って逆効果になる人もいる。したがって、奨学金制度を止めてしまえばいいとか、代わりに全ての大学で授業料を無償にするとか、そんなことで何かが本当の意味で解決するわけでないのは明らかだ。そんなことくらい、心得ているつもりだ。問題があるのは、個々の些末な事例を並べるだけ並べて、さてではどれが本当に効果的な事例であり、どれが無効か逆効果の事例であって、当該の制度をどういう条件で利用したり運用することが的確な成果をもたらすのかという、緻密な話を何にもしようとしないんだよな。この人たちって。例の、宇宙法とかの本を書いてる「自称理系」みたいなこと言ってる社会学者(例の黒木掲示板の常連だった)もそうだけど、この手の些末な事例を書き出す指摘マンしかいないんだよ。この国のライターとか社会学者っていうのは。だから、哲学者であるわれわれにこうやって事あるごとにからかわれるわけ。

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