Scribble at 2021-02-02 10:29:39 Last modified: 2021-02-02 19:03:27

アイヌの研究も含まれる「北方学会」という組織のページに、フレデリカ・デ・ラグナ(Frederica de Laguna、本当はもっと長い名前で、Frederica Annis Lopez de Leo de Laguna という)の名前を見つけた。彼女は、日本だと哲学プロパーどころか英米系のプロパーにすら殆ど知られていないが、セオドア・デ・ラグナとグレース・デ・ラグナという哲学者たちの娘で、native American やエスキモーの研究で知られた文化人類学者・考古学者だった。

この人物の業績にも関心はあるが、両親も夫婦揃ってアメリカの哲学者であった。Digressions&Impressions という Eric Schliesser のブログへ Joel Katzav が寄稿した記事によれば、クワインが著名な「二つのドグマ」で展開したホーリズムのアイデアは、デ・ラグナらがもっと前に公表した著作にも見て取れるものだという。もちろん、特にセオドア・デ・ラグナに詳しい人はヘラクレイトスの名前も出せるとは思うが。

実際、こういうことは他の色々な分野の学説や主張にも言える。人文系で「思想史」と呼ばれている分野は、対象となる学説や人物の見解にかかわる専門的な知識だけでなく、そこへ通ずる前史なり広範な影響関係(ただの交友関係だけではなく、その人物が読んでいた新聞や観ていたテレビ番組なども含めて)を調べる必要があり、クワインほどのビッグ・ネームであっても(訓詁学的な業績は、ここ東アジアの辺境地帯ですら適当に発表されているが)背景となる事情を正確に把握するのは難しい。なにせ、本人ですら自覚がない影響関係も突き止める必要があるのだから、自伝の類であっても基本的には当人が勘違いして書いている可能性を疑って調べなくてはいけない。

よって、丁寧に調べていけば、後から凡庸な洋書読みたちが「独創的なアイデア」と持て囃す類のものも、その大半は時代を遡れば或る種の der Zeitgeist として広く(もちろん、ここでは哲学プロパーだけにとどまらず、恐らくはタバコ屋の婆さんやガス・ストップのオヤジにまで)共有されていたものを先鋭的に表現しただけということがある。

なお、セオドア・デ・ラグナは54歳という年齢で亡くなっていて、どうでもいいことだが僕も来年は同じ歳になる。彼が残した著作として、Wikipedia(何度も繰り返すが、こう書いたときは英語版を指していて、日本語版を指すときは「ウィキペディア」と書いている。僕には「英語版ウィキペディア」とか "Japanese Wikipedia" などと書く習慣はない)に幾つかの著作が紹介されているけれど、Internet Archive に JSTOR のものとして追加されている大昔の雑誌論文コレクションで調べていたら、他にも "The Externality of Relations" とか興味深い論説が見つかる。彼の亡くなったのは1930年だから、死後に公表された遺稿の類を除けば殆どの論説が著作権切れであろうから、PHILSCI.INFO で訳出することも検討したい。

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