Scribble at 2024-02-03 15:22:40 Last modified: 2024-02-03 16:24:31

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『ニュースクール英和辞典 Kenkyusha School English-Japanese Dictionary』(廣瀬和清・伊部 哲/編、研究社、2009)

当サイトにて、英語の勉強について公開しているページでも改めて追記する予定だが、ひとまずこちらでも先に紹介しておく。以前も書いた話だから繰り返しになるが、世の中に出回っている「英単語集」と呼ばれる本の大半は、実は或る条件を決めて英語の勉強を始める人には全く買う必要がない。その条件とは、少なくともアメリカの大学生ていどの語彙をもちたいという目標をもつことだ。言い換えると、アメリカの大学もしくは大学院へ留学して学ぶていどの語彙を身につける必要がある方であれば、多くてもたかだか数千の単語しか掲載されていない英単語集なんて、何冊買おうと重複が多いばかりで非効率な勉強しかできない。そんなものを何冊も買うくらいなら、まずは中高生が学習用に使う英和辞典を買って、それに掲載されている単語を全て覚えてしまうくらいのつもりで勉強する方がいいのだ。

こういう学習用の英和辞典は、どの出版社から出ているものでも、おおよそ5万前後のエントリーで作られている。そして、だいたいアメリカの大学生の語彙数が4万くらいだと言われているので、簡単に言えば学習用の英和辞典を叩き込めば同じレベルの語彙になるというわけである。もちろん、現地の人々は現地で生活しているなりの特別な語彙を身に着けているので、その実状は人によって違っている。方言、スラング、生まれ育ったときに流行していたテレビ番組やコマーシャルのフレーズ、セレブの有名な発言、それから地元の仲間や家族にだけ通じるような、スラングとすら言えない合言葉のようなものは、その大半が日本で発売されている辞書には掲載されない(いや、もちろん Merriam-Webster にすら掲載されない可能性も高い)ので、辞書的なエントリーとして5万の語彙があるとしても理解不能な言い回しはたくさんあるだろう。でも、同じアメリカ人であっても他人のプライベートな言い回しや方言なんてみんな分かるはずがないのだし、これだけの語彙があれば少なくともスタンダードな語彙もない人として扱われずに済むわけである。日本でも、青森弁は分からなくても、青森の人が標準語で話してくれさえすれば何が言いたいのかは分かる人が大半だろう。彼らが標準語を使ったとしても言っていることが分からないというのでは、その人はそもそも日本語としての基本的な語彙がないと見做される。

ということで、英和辞典に掲載されている単語や用法を全て覚えるという単純な目標を設定すればいいなら、他に英単語集なんて買う必要はない。すると、ありえる反論として次のようなものがあるだろう。

(1) 英単語集はエントリの選択において最新のコーパスを使っている。

(2) 英単語集には専門用語だけを収録しているものがある。

(3) 英単語集は単語の並べ方がカテゴライズされていて工夫されている。

よって、これらは文字通り辞書的な英和辞典よりも優れているというのである。しかし、僕はこれら三つの点にはそれぞれ再反論できる。要は英和辞典であろうと使い方しだいで幾らでも活用できるのであって、これらの諸点で標準的な使い方の英和辞典よりも英単語集にアドバンテージがあるとしても、この程度のことは幾らでもリカバリーできるからだ。

まず (1) の、英単語集はコーパスを利用しているから英和辞典よりも優れているという点を考えてみよう。もちろん、特にネットで数多くの用例をデータとして蓄積できるようになった今世紀では、英和辞典もコーパスは利用している。しかし、英単語集は最新のコーパスから最新の結果を利用しているのに比べて、英和辞典は制作なり改定に数年の期間がかかるため、収録する語彙を決定したのが5年前であれば、出版されるまでのあいだに5年という月日が経過してしまう。よって、英和辞典の制作工程がおおむねどこの出版社でもこういうものであれば、英和辞典は常に5年ほど古いコーパスを使っていることになる。これは英単語集と比べて明白な欠点ではないのか。

しかし、僕はこういう議論には基本的に幾つかの欠陥あるいは思い込みがあると思う。まず、データベースとしてのコーパスが充実すれば、それに越したことはないという点は認める。集める語彙や用法がくだらない言葉や砕けた用法ばかりであろうと、そこで良し悪しを最初から挟むのは悪しきアカデミズムというものであろう。日本語でも、そのへんでお喋りしている若造や X でヘイトをばら撒いているジジイどもの馬鹿げた言葉遣いばかりデータとして蓄積されていくのは由々しき事かもしれないし、そんなことで充実したコーパスを基準に日本語の辞書など作られては困るかもしれないが、それが「良い辞書」であるかどうかを決めるのは、日本語学者ではなく僕ら自身だ。僕は日頃から権威主義を支持しているが、こういうことにまで無闇に権威を押し付けるつもりはない。僕が当サイトで紹介している「名詞化した動詞連用形の独立的用法」(「試み」とか「ふれあい」とか「気づき」なんていう、薄気味悪い表現)とか「~というかたちで」とか「本格的」とか「関係性」とか「言説」とか、あるいは NHK のアナウンサーが1日に1回は呪文のように口にする「浮き彫り」という言葉遣いが嫌いなのは、個人として不愉快だからであり、日本語の辞書から放逐せよと言いたいわけではない。ともあれ、コーパスにどういう言葉が蓄積されていってもいいわけだが、常に最新のコーパスを利用することが最善の辞書を作るための必要条件であるかと言われれば、それは別の話である。僕は、新しい言葉ほど、新しく使われているその状況での使われ方で学び習得するべきであって、そもそもいま流行している言葉や表現方法を辞書に掲載してもらって学ぶことば望ましいと期待するのは間違っていると思う。辞書で学んで習得する言葉というものは、常に一定の期間において使われたという実績がある言葉や表現だけを対象にしているのであって、わずか数週間ほどアメリカのどこかで話題になったというだけの言い回しを辞書に収録する「べき」であるとは思わない。そして、英単語集の制作であっても必ず時間がかかる以上、仮に最新のコーパスを利用する方が良いという前提を認めたとしても、本当に最新の流行語なんて英単語集であっても収録できないのである。たとえそういうもののウェブ版があるとしても、エントリーされるまでに一定の時間は必要だろう。掲載するという実務にかかる作業としても時間がかかるし、そもそも或る新しい表現が一般に共有するだけの価値や意味があるものなのか、それとも個人の言い間違いや勝手な解釈による派生的な用法なのかも見定める必要がある。すると、ウェブ版であろうと或る個人が新しい言い回しを X で使ったとしても、それが数時間後にはオンラインの辞書に掲載されるなんてことが良い辞書の条件であると考えることが迂闊や軽率であることが分かるだろう。

次に (2) は、書店で自然科学系の専門用語だけを集めた英単語集なんてものがあるのを見たことがあるという人もいるだろう。分野別に独特な言い回しや単語を集めた英単語集というものが色々と発売されていて、それこそ我々のような企業人であれば、学習英和辞典には掲載されていない(実際、僕が持っている『ニュースクール英和辞典』には掲載されていない)"rollover"(ファイナンス分野では「短期借入金の借り換え」という意味)のような単語を知っていなくてはならない。なので、英和辞典で5万の語彙を身に着けたとしても、それは5万の言葉を知っている子供が出来上がるにすぎない。実際に僕らが仕事や生活で使っている表現というものは、それらを分野とか用途に応じて組み合わせたり使い分けることで必要な意味合いをもつのであり、辞書的な単語をたくさん知っているというだけでは実生活の役に立つとは限らないのである。

この反論には、僕がいま自分で自分に向かって反論を組み立てながらでも感じたように、なるほど説得力がある。しかしこのような反論は英語の表現を英和辞典と英単語集のどちらかだけで習得するという条件があって始めて成立するのであり、僕には比較の条件が不当に思える。たとえば、ビジネス用語の英単語集には "market value"(市場価値)という表現が出ていて、仮に英和辞典には出ていないとしよう(実は出ているのだが、仮にないものとする)。すると、英和辞典を使っている人は "market" と "value" という二つの単語を個別に覚えることになるため、"market value" と言われてもビジネス用語のとしての「市場(での)価値」だと理解できるとは限らない。もしかすると、「市場というシステムにどれだけの重要性があるか」という意味だと勘違いするかもしれない。でも、だからといって中高生にいきなりビジネス用語の英単語集を使うように薦めるべきだろうか。僕らは "market" と "value" という単語をどちらも既に知っているうえで「市場価値」という言葉の意味も分かっているからこそ、それを英語で "market value" と言うのだと覚えるのであろう。すると、どう考えてもそんな英単語集を使うよりも "market" や "value" しか乗っていなくても、そちらを先に学ぶべきであることは言うまでもないはずである。

もちろん、更に再反論する人はいるだろう。たとえば、「幼児の言語習得最強説」を頑なに信奉している教育ママとかがそうだ。幼児は、フレーズを塊で習得するのだから、"market value" という表現の個々の単語を分割して覚えなくても、「まーけっとばりゅー」という塊で市場価値のことだと理解すればいいのであって、「まーけっとばりゅー」が「まーけっと」と「ばりゅー」に分割できるなんてことは後からでもいいというわけだ。でも、残念ながら僕はこの手の議論をぜんぜん信じていない。なぜなら、こんなことは幼児のように必要最低限のフレーズだけで生きていられる時期にしか通用しないからだ。僕は「まま」とか「くそじいい」みたいな単語しか覚えて発声する必要がない幼児が「まーけっとばりゅー」なんて発生しないと生存の危機に陥るなんて思っていない。よって、幼児にそんなフレーズを習得するインセンティブはないのであり、実際に幼児がそんな表現を記憶したとしても、自分で意味のある脈絡で的確に発音などしないであろう。そういう表現は、その表現を発音して意味のある脈絡に自分が置かれていたり、そういう表現を発して意味がある状況が必要なのである。僕ら大人はそういう状況に置かれているからこそ、いきなり "market value" という表現を(さきほど述べたように、"market" と "value" を既に知っているという前提で)学んでもいいわけだが、幼児にそんな表現を塊として記憶させようと、それは学習ではない。そんなことを外形的に発音できるていどの理由で「学習」などと呼んでいいのは、生物学者だけであり、教育者や親が自分の子供や自分の生徒に対して使うのは錯覚であり過大評価である。

そして最後の (3) 、つまり英単語集は単語の並べ方がカテゴライズされていて工夫されているという点は、英和辞典をそのまま使って「a」から順番に覚えるなんていうパワー・プレイをやるというなら反論にも道理があるけれど、それは英単語集の編集と同じく英和辞典の利用方法を工夫すればどうにでもなる。まず単語がアルファベット順に並んでいると、並んでいる順番で記憶してしまうので、適切な記憶の仕方にならないという反論が考えられる。でも、同じことは英単語集でも言えるのだ。たとえ英単語集が単語をアルファベット順に並べていないとしても、「この単語の次の単語はこういう意味だった」なんていうう具合に順番だけで「答え」を覚えてしまうというリスクは、どういう英単語集でも抱えているのである。それゆえ、単語がランダムに出てきてもちゃんと答えられるようにするには、辞書だろうと英単語集だろうと、自分で単語カードなどに書き出してから、一定の頻度でカードをシャフルして並べ替えるといったことをやらないといけない。実際、僕は神戸大学の博士課程を受験したときにドイツ語の単語を単語カードに書き出して数日ごとにシャフルして覚えなおすということをやって、受験するまでのあいだ2ヶ月だけ働いていた鉄工所で作業の合間に単語カードを使って1,500語くらいを覚えたことがある。単語カードを合計で30束くらい使うので、最後は数千枚のカードをシャフルするなんて並べ直すだけでも時間がかかるから、せいぜいカード5束ぶんくらいをシャフルするていどにしたが、それくらいでもしっかり習得できる。まじめに勉強するなら、何を使おうとこういうことはやるべきであろう。

[追記] 追加した。https://www.markupdancing.net/archive/20190219-134200.html#ch_22

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