Scribble at 2021-03-23 10:34:48 Last modified: 2021-03-23 10:49:34

BLM に関連して、開発の業界でも地味に色々な修正なり変更があり、たとえば "white list" や "black list" を "pass list" や "block list" あるいは "allowed list" や "denied list" といった名称に仕様として書き換えるようなことも始まっている。マイクロソフトでも、関数名やプロパティの名称を少しずつ変更しているようなので、そういう事情でのプログラム更新が Windows Update にも反映される機会が増えてくると思う。

日本でも、語源や由来は人種と関係ないかもしれないが、「白黒をはっきりさせる」とか「白黒をつける」(あるいは「黒白(こくびゃく)をつける」)といった言い方を再考する必要はあろう。「黒」が「黒人」を意味していないとは言っても、結局のところ「黒」を〈悪いもの〉と分類すること自体が不当な類推や印象を人々に刷り込むことになるからだ。これを、自称「正論」がお好きで社会言語学などの知識が皆無の無能な保守は「関係がない」と言い張る傾向にあるわけだが、保守的であるという自覚がある人間から言っても、こういう学識のないバカの「保守」は耳を貸すに値しない。(言葉を守るのと人の権利を守るのとで、どちらを〈保守〉するのが大切なのか。こんなことは思想やイデオロギーの如何によらず、義務教育ていどを終えた人間には自明だろう。もちろん、「人権もイデオロギーである」と物書き風に言ってのけるのは容易いが、では現実にそれを自らの生き方や考え方として貫徹できるのか。知的辺境国家の物書きにそんな知恵や覚悟なんてないと思うね。)

そもそも保守的な思想の真髄というものは表面的で非本質的な動向なり動静に左右されないという点にあるわけだが、これは何も頑なであることとは違う。事の本質や重要さに照らして物事を変えたり改めるべきだと進んで賛同し与するのだって、〈事の本質〉なり〈真に大切なもの〉を保守するという点では一貫した態度と言える。「保守」が単なる伝統や既得権の頑迷な擁護と同じように誤解されがちなのは、簡単に言えば〈無能〉が保守を名乗ってものを書いたり行動したり世の中で色々な判断をするからなのである。

  1. もっと新しいノート <<
  2. >> もっと古いノート

冒頭に戻る


※ 以下の SNS 共有ボタンは JavaScript を使っておらず、ボタンを押すまでは SNS サイトと全く通信しません。

Twitter Facebook