Scribble at 2024-04-06 18:36:34 Last modified: 2024-04-09 21:01:15

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長谷川氏は「正しいことをストレートに発言するところを取りえだと思っていた」とした上で、「ストレートすぎるところは十分にあったのではないか」と振り返った。

「正しいことをストレートに発言するところが取りえと思っていた」自民・長谷川岳氏が反省

この程度の発表を「反省」などと報じているところが、反動右翼メディアのだらしなさというか、殆ど自民党版の聖教新聞じゃないかと思えるようなところなんだよな。右翼でもネトウヨでもいいけど、自分たちなりの思想なるものがあると自負するなら、少しでもこういう連中を刺し違えるくらいの記事を書こうとしないものかね。

これは日本に限らずたいていの国の政治家に言えることだけど、まず表現の仕方がいけなかったというところから言い訳を始めるというのが常套手段だ。もちろん、自民党の政治家なんて宮澤喜一氏や後藤田正晴氏のような人物を最後として、それ以降は大半が世襲で政治家になっただけのお坊ちゃんや小娘だし、東大だろうと元マッキンゼーだろうと業績がなければただの暗記坊やだ。中身がないのだから、早い話が言葉の問題としてしか解決しようがないのである。

というか、上記のような言い訳は言葉の話としてすら扱われておらず、喋り方、つまりは生物としての発声という生理的な仕組みの機序みたいなことを喋ってるわけだ。なら、お前みたいなクズは二度と傲慢な口が利けないように唇を縫合してもらえば良い。handicapped でも代議士として働けるのだから、話せなくなっても代議士は続けられるし、逆に handicapped な状況で国政に携わるための配慮や改善を自分の経験で訴えたら、いまやってるようなことよりも多くの人々の関心と称賛を集められるであろう。ヤクザや地元の守銭奴から称賛されたところで、おまえらなんか使い捨てだよ。

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