Scribble at 2024-04-13 12:33:24 Last modified: 2024-04-13 22:55:18

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I was told they tossed them out. Every one.

I Continue to No Longer Attend Vintage Computer Festivals (textfiles.com)

コンピュータ関連の雑誌や機器を集めていて、それらを幾つかの団体に寄贈していた人物によるブログ記事が Hacker News で話題として紹介されている。upvoting は少ないので、upvoting の数で足切りしている iPhone の Octal (Hacker News client) ではなく、パソコンのブラウザで Hacker News へアクセスして、たまたま見つけた投稿だった。ただ、なんだか気になって当人のブログへアクセスすると表示不可となっており、Wayback Machine にコピーされていたブログ記事を読むと、これが本当なら当人が怒るのは当たり前だと思う。寄贈した資料を全て廃棄したこと、その事実を寄贈した本人に通知もしていないことなど、あまりにも杜撰である。

もちろん、こういうことはどこの国でもあり、我が国でも高知大学図書館が寄贈された図書を含む膨大な数の郷土資料を廃棄処分してしまい、その新聞報道を読んだときは、あれほど郷土史に熱心な人が多い高知ですらこれかと呆れたものだった。かように、馬鹿はどんな国にもいる。そして、彼らにも人権はあるから、図書館の司書になったり、アーカイブ団体の職員になることを遮る法令や規制はあるまい。しかし、無知無教養な者が司書や書店の店員として採用される権利はあっても、その無知無教養ゆえに在職し続けることはできないように色々な牽制を敷くのが、正しい社会防衛であろう。もちろん、これを不合理かつ不当に行う institutional racism のようなものは制度として採用されたり固定されないよう排除するべきだが、institutional な評価そして採用という制度それ自体に、本質的な欠陥や悪意や人権侵害はない。それどころか、何度も言うように、あらゆる国や時代において無能や不適格者はいるのだから、これらを特定の職能や社会的な地位から排除することは、あらゆる国家における制度というものの使命であり、国民を自ら守るための防御機構なのである。あらゆる人間にあらゆることを認めたり許容するなんて制度は、それ自体が制度という概念の自己否定であって、破壊的かつ破滅的な結果しか生まないだろうと信ずる(それでも、全ての人に好き勝手やらせて「破滅してみようじゃないか」という、漫画的なファンタジーを好む人はいる。おそらく、そういう人たちは破滅した後に「新しいセカイ」が誕生するとでも思っているのだろう。しかし、科学哲学者として断言するが、そんなものはない)。

こういうわけで、上記の事案はニュージャージーの Vintage Computer Federation という特定の団体だけの問題ではないし、ニュージャージーという特定の田舎だけの問題でもない。おそらくは、あらゆる国や地域や時代や組織において発生する問題だ。しばしば、僕らは企業のマネジメントに関して、こういう事案を「自社に適した人物だけをバスに乗せる」と語るわけだが、多くの事例でこの表現に引きずられて錯覚が生じているように、問題はバスに不適格な人物を乗せないようにすることではなく、不適格な人物がバスに乗ってしまっているときに、どう降りてもらうかなのだ。なぜなら、僕に言わせればほぼ全ての組織や企業における人材採用には欠陥や限界や評価ミスがあるし、そもそもたいていの人事なんて未熟な人間が担当しており、上場企業でも教育学や心理学の修士号すらもっていない素人が人事部長などを務めている。つまり、人事の人間こそがバスから降りるべき欠格者である可能性が高いのに、たいていの企業ではそれができないのである。それゆえ、問題は凡庸で未熟な人間に、あらかじめ不適格者を見分けるなどという、出来もしないことを期待することではなく、採用した後にどうやって不適格な者を見つけ出すかという基準を立てることなのである。馬鹿が馬鹿を採用してしまう可能性がある以上、既にいる馬鹿をどうやって会社から出て行ってもらうかを考えなくてはならないし、それ以上に大切なことは実行することなのである。

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