Scribble at 2017-08-07 10:02:00 Last modified: 2022-09-22 09:54:36

僕はウィキペディアや Wikipedia の利用者でもあるし、編集に参加しているボランティアの一人でもある。ご存知の方はとっくにおられると思うが、"markupdancing" という、サイト名をそのままユーザ名としている。これまで多くのエントリーを利用してきたし、それなりの数の編集にも参加してきている。したがって、このサービスの意義は理解しているし、支持してもいる。しかし、事業としては数多くの課題を抱えていて、その原因と思うことがらにいついて僕なりの批評を書いておきたい。

まず PC のブラウザでアクセスするサイトの Wikipedia にはブックマーク機能がないので、Android 版のリスト(ブックマーク集)を共有できない。なので、PC ではウォッチリストの履歴が事実上のブックマークなのだけど、これも保存数が非常に少ない仕様だから、ブラウザの昔ながらのブックマークを使うか、あるいは Firefox の Scrapbook アドオンでローカルに保存している。つまり PC では、ウィキペディアというサイトは場当たり的な参照か、あるいはローカル保存かの両極端でしか使えない。どんどん編集して良い記載になっていくとは言っても、そこへ学者でもない多くの人が再び戻って「よい記載」を参照しなおすインセンティブがあるのかというと、それを醸成することには失敗している仕様だと思う。よく、大昔の「ホームページ屋さん」がウェブはすぐに修正できるメディアだと豪語していたけれど、大半のユーザなんて改めてサイトにアクセスなんかしない。「修正されて、よいコンテンツになってるかもしれない」なんて期待を抱いて同じコンテンツに何度も、それこそ利用者が定期的に再びアクセスする動機なんて、そもそもウェブに限らず殆どの媒体にはないのだ。周りを見てもわかるだろう。最新版が発行されるたびに『広辞苑』を買いなおしてる人なんて、その手の特殊な趣味がある人を除けば、大学教員ですら殆どいないはずである。

他にも幾つか言えることはあるけれど、まずジャンルの偏りは既に是正が不可能な段階に入ったと思う。これから30年待っても、日本語版ウィキペディアの学術用語の項目がせめて英語版 Wikipedia 並に充実するという望みはないだろう。恐らく、哲学者の項目数よりもアダルト女優やエロアニメの項目数は多いままだろうし、SEP みたいなものを1項目ですら自発的に作る気もない日本の(雑用に忙しいと、毎日のように Twitter に書いている)哲学教員や院生が、これからも項目を自ら作成するとは思えない。そして、当初から言われていたほど、「アマチュアが勝手に書いてるものよりは大勢で編集したほうがクオリティは高い」という証拠や正当化が無いということも決定的だと思う。実際、当サイトで掲載しているいくつかのページは、そもそもウィキペディアに項目として存在しないし、あったとしても僕の書いた記事の方が品質や情報量において圧倒しているものもあると言える。われわれのように有能な人間がやる仕事に、バカや凡人が100人で手を入れようと勝てるわけがないのだ。

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