Scribble at 2017-06-08 00:21:47 Last modified: 2022-09-21 09:11:06

当家は両親ともガリ版の原稿を書く内職に携わっていた時期がある。父親はもともと字が巧かったらしく、書道の免許を持っていない人としては達筆の部類に入ると思うが、字は全体として堅い。母親もそれなりに整った文字を書くのだが、恐らく僕が大学生になった頃には母親よりも巧くなっていたと思う。

僕は小学校へ上がるまでの記憶というものが殆どないのだけれど、八尾市の山本に住んでいる頃のかすかな記憶として、両親が夜遅くまで机を並べて塾や学校の試験問題をガリ版の原稿用紙へ清書する「ジガジガゴ、ジガジガゴ」という音(に聞こえた)を聞いたり、誤って原稿用紙のムラがあるところを破いてしまったときに修復する塗料の独特の臭いを嗅いだり、あるいは挿絵の参考資料として何冊か揃えていた図案集を何時間でも眺めていた思い出が残っている。それこそ物心がつく頃からの体験があるので、僕が特に何か学ぶこともなくレイアウトや色や書体に関心をもったり執着する傾向があるのは不思議でもなんでもない。そういうことに注意を払うのが、当家では当たり前のことだったのである。下手糞な字を書く人間は、当家では子供扱いされる。したがって僕は息子という理由だけではなく、それなりの年齢になるまではまともな文字を書ける人間として認められなかったように思う。知識や学歴が親を遥かに超えていても、文字を美しく書けない人間は信用されないというわけである。

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