2018年02月13日に初出の投稿

Last modified: 2018-02-14

One of the warning signs for me is when I can’t tell the difference between a big problem and a small problem. My brain stops prioritizing. Every problem comes at me at exactly the same size.

Twitter’s Great Depression

Medium で見かけた記事に刺激を受けて書いておくことにした。

僕も2007年から使ってきた Twitter のアカウントを今年の1月に deactivate した。これは他の三つのアカウント(情報セキュリティのアカウント一つと、趣味のアカウントを二つ持っていた)を一つずつ deactivate してきた手順の最後に行ったものであり、あらかじめ昨年の1月から一時的に1年だけ復帰させようと思って使ってきた結果なので、傍目にはいきなりアカウントを閉じたように見えたのかもしれないが、予定していたことだ。その後で誰が何を Twitter で書いているかは関知していないし、何の興味もない。

Twitter では、もちろんアカウントごとに色々な分野の人々をフォローしてはツイートを眺めてきた。ちなみに、ツイートは誰かに強制されていることでもないのだし、僕は誰に対してであれ「感謝」する必要はないと思っているが(どのみち、多かれ少なかれ SNS というものは当人のパブリティを目的に利用したり、虚栄心なり体裁を取り繕うために使うわけで、単純にテキストとして何かを書き残すだけなら、それこそ手帳に記入したりテキストファイルをパソコンに保存すればいいだけである。公の場でこうして書いていること自体、何らかの利益があると当人が思っているのだろう)、ツイート以外の手間がかかることをやってくれた方々には、感謝しておきたいと思う。例えば、専門とする philosophy of science については、Causation (Oxford U.P., Veri Short Introduction) の共著者であるラニ・リル・アンユムさんに philosophers のリストへ登録してもらったり、国内では(名前は出さない方がいいかもしれないので伏せておくが)、哲学以外の研究者(自分では研究者ですらないと書いているが)や研究職以外の方々とはコメント等でのやりとりをさせていただいた。

1年だけ復帰してみて、それから改めて Twitter を使わなくなってみて思うのは、僕の使い方だと時間あたりの生産性に有意の違いがあるということだ・・・いや、もっとぶっちゃけで言えば、Twitter を使うと時間が無駄になる。Twitter を使っての情報収集は効率が悪すぎるし、集めた情報の信頼性や正確性や分量も、はっきり言って単に DuckDuckGo などで検索するよりも貧弱である。学術研究とか、あるいは Twitter を使っている研究者当人の業績や関連情報についてすら、Twitter は情報収集の手段としては非常に質が悪くて、はっきり言って使い物にはならない。研究者のプライベートなツイートについては、正直なところ興味深い発言は殆どないし、そんなことを知ってどうにかなるものでもない。僕は、失礼ながら今現在の分析哲学・科学哲学の教員について、Twitter の発言を丁寧にアーカイブしてから解釈など適当に施して、ヴィトゲンシュタインやクワインと同じような評伝を書いて後世に残すような意義など全く認められない。

そして、僕自身のアカウントではネトウヨとか噴き上がり左翼とか、その手のクズみたいな連中のアカウントはフォローしていないしリストすら作ってはいなかったが(もちろん、そんな些事に手間など使うこと自体が時間の浪費である)、フォローしているプロパーが RT するツイートには、どうしてもそういう人々(有名であれ一般人であれ)のツイートが紛れ込んでくる。もちろん、そういう人々がいるという事実から目を背けてはいけないし、Twitter を利用しているユーザの大多数が、そういう発言に一喜一憂している人々であるという前提で、民衆を行政や産業政策や社内のマネジメントとしてコントロールしたり、社会思想を適正に構築するための道具立てとしても理解しなくてはならない。Twitter を自分が使わなくなったからといって、Twitter を使い続けている他人が宇宙から消えてなくなるわけではないのだ(とはいえ、世界 III においては最初からいないも同然だが)。

また、やりとりさせていただいた方々へ謝辞を述べた際にお分かりのとおり、僕は国内の哲学のプロパーとは全く没交渉で Twitter を使ってきたし、おおむね国内の哲学プロパーのツイートは学術的に言ってもそれ以外のプライベートな発言としても、はっきり言って役に立たなかった。これは2007年から10年以上の経験で判断していることなので、彼らが死んで世代交代すればどうにかなるというものでもなかろう。そして海外のユーザについても、学術研究の情報として有益かどうかは大きな疑問がある。そもそも自然科学においてすら、Twitter での即時性などというものは「パブリシティのプラットフォーム」としての意義しかなく、研究プロセスそのものに Twitter を使うほどの即時性など不要であるし、そういう用途なら単に会話や電話やメールやメッセージサービスを使うのが常識だ(CERN などで研究者どうしが必要に応じて連絡し合うのに Twitter を使うなどということは、それが機密情報だろうとなかろうとありえない)。同様に、The Atlantic の記事のように一定の日数をかけて取材したり執筆・編集・推敲しているようなウェブページの即時性についても、パブリシティのプラットフォームにおいては求められるかもしれないが、そのコンテンツに即時性があるというわけでもないのだ。これらを混同しているユーザが Twitter には多いように思うし、その勘違いゆえに SNS にへばりついていないと何かを見逃すという強迫観念に支配されてしまうのだろう。

世の中というものは、一日や数時間で急激に良くなったり悪くなったりするものではないし、科学の研究も同じである。ましてや、我々が取り組んでいる哲学としての探究においては何をかいわんやであろう。(現代の大半の国家では、元首がどれほどのキチガイであろうと当人の意志だけで核兵器は発射できないようになっているし、ヤク中の空軍パイロットが独断でミサイルを発射などできないような仕組みになっている。)

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