2018年02月06日に初出の投稿

Last modified: 2018-02-07

僕がフォローしている日本のユーザで Google+ に投稿する人は数えるほどしかいなくなったわけだけれど、元から日本のユーザは少なかったし、フォローしている人数も少なかったので、さほど問題はない。そもそもプレゼンスが優先の芸人であれば観客が多い Twitter や Facebook で芸を見せる方が効果的なのは当たり前だから、これだけアクティブ・ユーザが少ない SNS となると、文字通りログとして黙々と記載する(しかし、なぜか公開する)くらいの用途でしか使われなくなるのは必定であろう。もとより、僕がこの Note で書いているように、誰もがプログラミングできるわけでもないし、誰もが独自ドメインを持っていてレンタルサーバを借りているわけでもないからだ。恐らく、レンタルサーバを借りて個人が独自ドメインでウェブサイトを運営するなんてことは、そう遠くないうちに再び一部の人間のホビーや贅沢ということになるだろう(というか、もともとそうだったのでは?)。

無論、僕が二つも三つも独自ドメインを持っていてレンタルサーバでウェブサイトを運営しているのは趣味とも言えるし、そういう一定の金がかかるという意味では贅沢とも言えるだろう。したがって、どういうコンテンツを公開していようとも、金がなくなれば続ける理由はなくなるし、ウェブサイトを運営したりコンテンツを制作する意欲や動機付けがなくなれば続ける必要もなくなるわけで、こういうものは書籍を出版して国会図書館で保存してもらうのとは全く意味が違う。Internet Archive にしても、しょせんは他人が他人の財務で続けていることにすぎず、コンテンツをアーカイブしてもらったところで永続性などない。要するに、ウェブのコンテンツは本質的に刹那的なものであり、ダウンロードした人にとってすら一定の持続する価値があるかどうかは疑問である。仮に、誰かのウェブページをローカルに保存したあとでサイトが閉鎖されたら、個人としてその文書を読むという利用価値はあるが、もはや URI を書こうともリソースないし典拠表記としての意味はない。

そういうことなので、僕は自分のサイトで何かを書いて他人を啓発したり、何かの役に立つようなサポートはしたいと思うのだが、それは僕が人生を送っている目的でもなければ「意味」の一部ですらない。科学哲学のどれほど重要な課題を扱って自分なりに納得の行く議論を展開していようとも、それは僕が自分で納得すれば良いわけで、自分が国公立大の博士課程まで行って学んだ成果としては特に他人様へ公開などしなくても充分だと言える。哲学を学んで何かを一個の人間なり大人として反映させるべき責任があるとすれば、それは第一に人としての生き方や投票行動などであって、哲学の議論を開陳することなどではない。プロパーでない以上は、その成果を世の中へ還元するかどうかは全く趣味の問題でしかなく、僕はサイトを運営して何某かのことはやりたいわけだが、それは哲学を学んだ者として世の中に何かを還元したり(良し悪しはともかく)影響を与えるために最大の効果を上げられる活動であるとは限らないのだ。もちろん、その逆にプロパーは学んだことを世の中へ還元する責任を追っており、そのために大学などという制度をわざわざ維持して、どれほど哲学的に無能であろうと大学の教員であるからには他人を教える役割を与えたり、書籍を出版できる機会を与えている。それだけでも、我々のようなアマチュアとは隔絶した特権であり、それゆえ僕はプロパーの権威を認めると同時に、無能を許さないのである。

簡単に言うと、プロパーは学術をつかさどる一種の特権階級であり、人の知識の範囲や文明の可能性の範囲を押し広げる責任や権能があり、自分達の成果を正当化する権威が社会から付託される代わりに、無能と分かれば社会的に抹殺されなくてはならない。

昨今、大学教員の雇用状況について短絡的な制度の導入が始まっており、それらと混同されては困るのだが、任期制を導入したところで無能かどうかを理事会や教授会と呼ばれる(実際のところはたいてい)無能が評価したり、あるいは「世間」や「社会」などという更に無能の集団が評価しても無意味であり、無能による足の引っ張り合いが起きるだけだ。よって、客観的かつ妥当な評価は研究者のコミュニティに委任する他はない。これを論文の発表件数や内容の重要性で評価し、その評価に一定の年数をかけてもよいだろう。よく「基礎研究には何十年とかかるので、単に論文の発表件数だけで評価するのは不当だ」という意見を見かけるが、では、自分の研究は数年で成果が出るものではなく、長期的な実験や検証が必要なのだという論文を書かないのか。なぜ実験や検証や研究を途中経過として評価し、いま進めている実験や研究が間違っていたり十分な成果が出ていないかどうかを少しずつ確かめるような基準を作って経過報告をしないのか。それこそ怠慢というものである。

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