2017年12月04日18時00分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-12-04 18:00:17

学習思想史の中のアクティブラーニング : 能動と受動のもつれを解きほぐす

文科省のPDF資料を見ても、各課程の教育方法論や学級運営の議論全体に広がってて、「教育」と見分けがつかない印象があるんだよね。広告業界から見ると、アクティブ・ラーニングなんてのは、大手二社の広告代理店さんが文科省を「突いた」だけのネタにすぎないし、出版やセミナーで荒稼ぎしたい人たち、あるいはメディアの出演スケジュールしか頭に入っていないにわか評論家どもも子供や生徒なんかそっちのけだろう。だいたいが圧倒的多数の教員からすれば、アクティブ・ラーニングなんてものは、80年代に関東ローカルなテレビ文化圏だけで流行った「ディベート」とか、あるいはヨーロッパの小学生は教師と討論してます系の浅い報道と区別がついてないと思うけど。

だって、あからさまに書くのもどうかと思うけど、学校教員って別に教育学の学位をもってるわけでも何でもないからね。教育についてすら、彼らは「学部卒」にすぎないわけだよ。それでも彼らの試行錯誤を信頼するというのが、僕らの社会のコミットメントなんであって、こういう現実を前提にしておかないと、聖職だの何のと馬鹿げた前提で相手に余計な負担を押し付けるだけになる。

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