2017年12月01日14時18分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-12-01 14:28:04

人には四つのタイプがあって、それぞれに応じて適した方法で習慣を変えると成功できる、なんてのはよくある自己啓発の議論のパターンなんだけど、こういう本がアメリカのような土地ではよく売れているらしい。さすがは6割くらいの国民が死後の世界を信じている宗教国家だけある。さて、アマゾンでは、こういう議論をしている人物の一人である Gretchen Rubin の言ってることに「科学的な」根拠がないと指摘する人は多いわけだけど、彼女は(ジャーナルの編集やったくらいだから無能ではないとしても)法学部の出身であって修士号すらもっておらず、アマチュアとして心理学を勉強したわけでもないブロガーなんだから、科学的な論証や学術的な文章を書くどころか、そもそも学部卒なのだから学術研究の手順すら知らないわけであって、その水準は推して知るべしではないのかな。

僕はこういう断定はものごとを効率的にすすめる「正しい」やり方だと思っている。なぜなら、こう断定されたくなければ、彼女は、ただたんに社会心理学や認知科学を真面目に勉強すればいいだけだからだ。わずかな出費だけで何の社会的な障害もなく(子育てや誰かの介護などを「女性」として押し付けられていたら別の問題はあるが)、幾らでも対処ができるし、本を書くという職業上の責務として、我々は物書きや学者にそのていどの努力を要求できるはずだ。

こういう責務を果たしていない人々を無能や嘘つきや勉強不足だと断定しても、我々の社会が「悪く」なる可能性はないし、こういう差別は人種差別とはぜんぜん違う。そして、これを「差別ではなく区別だ」などとはぐらかす必要もない。われわれが取り組むべきなのは、差別という社会的な機能を否定することではなく、その理由が所定の集団や個人にとって不当とならないようにすることなのだ。逆に言えば、正当な理由があれば民主国家であろうとなかろうと、例えば、われわれはヤクザという一定の集団を差別できるし、現にしているし、それを理論としてとがめる社会学者などいまい。ただし、ここで大切なのは、山口組や会津小鉄の誰それを不当に扱ってよいということではなく、「ヤクザ」という集団が成立して世の中で一定の力をもってしまうことを排斥し差別しなくてはならない。ヤクザの構成員が考え方を改めて、不法行為や暴力で生活したり他人に相対することをやめ、そしてその可能性があると(それこそ Gretchen Rubin について「胡散臭い」と)断定されないような条件を満たせば、差別する理由など何もない。なぜなら、彼らが何か悪事を行うリスクがあるとしても、そのリスクは一般人が人を騙したり殺すリスクと正確に全く同じだからである。

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