2017年11月11日20時25分 に初出の投稿

河本孝之Takayuki Kawamoto

Last modified: 2017-11-11 20:25:20

他人が調べて公表している情報は、その労力の価値を評価して対価を支払って手に入れるべきであるなら、学者であろうと一般人であろうと金を払って購入しなくてはならない。公共の図書館は最低限度の文化的な生活を保障するための施設として存続してよいが、本来は収入に応じて貸し出す冊数を制限するといった措置が望ましく、それができないのは図書館に利用者の年収というプライバシー情報へアクセスする正当性や権限がないからだ。もしマイナンバー制度における自治体機関どうしの連携が進んで、具体的に住民の年収という金額が分からなくても、利用者カードを作成するときにマイナンバーを提示して(当然、そういう目的にも使えるように法律を改正しておく必要はある)、年収に応じたランクのようなものを API の戻り値としてだけ取得すればよい。仮に下限を年間で100冊とし、年収100万円ごとに借りられる冊数を10冊ずつ減らしてゆけば、年収1,000万円の人は公共の図書館で本を借りられないという話になる。これはちょっと厳しすぎるが、おおむね仕組みとしてはそのようなことになる。ただ、年収1,000万円の人が年収100万円の人と同じだけの本を読みたいがために100冊の本を自分で購入するとなる、平均して1冊あたり2,000円とすれば、もちろん雑な計算だが年間で20万円の所得格差が縮まる。年収100万の人は自分の生活費や養育費で手一杯だろうから、年収に占める割合というだけではなく、可処分所得に占める割合としても、年収1,000万の人の可処分所得において年間の20万円は大したことないだろう。そこで年収1,000万円の人々が、いや我が家では子供が5人いるとか、子供が全て私立の中学や高校に入っているとか、大阪市内に5,000万円のマンションを買ってローンが大変だなどと抗弁したところで、それこそ自己責任というものである。貧困の多くは不可避的に貧困となる場合が多いが、小金持ちの貧困は贅沢の結果である。それこそ、居酒屋へ繰り出したり、休日に暇潰しのバーベキュー・パーティーなどを開いて、自分達だけで人間関係に何か得るものがあると集団催眠にかかって愚かな一生を送ることに思いをはせるべきであって、金があっても単なる秀才として東大に入ったり大企業に入っただけのバカは最終的に自己満足としての平凡な一生を終えるのである。

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